雪ヶ谷散歩 > まちの地名 > 雪ヶ谷の由来について

「雪」を冠する地名

「雪ヶ谷」という地名素敵な響きですね。字の組み合わせも綺麗でとても好きな地名です。しかし,「雪」がつく地名はあまり聞いたことがありません。私が調べたところ,東京で「雪」を冠する地名は「雪ヶ谷」のみです。東京周辺では千葉県旭市の雪降里(ぶどうじ),神奈川県鎌倉市の雪ノ下(ゆきのした),埼玉県内では見つけることができませんでした。北海道や東北などの豪雪地帯では珍しくないかもしれませんが,首都圏で「雪」を冠する地名は少ないことが分かります。

なぜ地名に「雪」が付くのか

雪ヶ谷の里は,雪ヶ谷八幡神社のある丘陵地と,その西側にある日下山という2つの丘に挟まれた谷を中心に栄えてきました。文字通り「谷」のまちなのですが,なぜ「雪」なのでしょうか。残念ながら正確な由来は明らかではないようです。その中でも有力な説として「氷室説」があります。大田区自治会連合会より発行された『大田区ふるさと発見ブック』に以下のように記してあります。

かつて江戸時代川魚の「若あゆ,落ちあゆ」は多摩川の代表魚として江戸人の賞賛をうけ江戸城にも献上されてました。アユを雪でまぶし,姿と鮮度を保つため初夏に使う雪を,谷あいのムロの中に大量に入れて保存する技法,技術があり,その名が雪谷の地名になったといわれています。

大田区自治会連合会 「大田区ふるさと発見ブック」

雪ヶ谷一帯は自然の起伏に富んだ複雑な地形をしているため,谷あいに横穴を掘り氷室を作るのに適していたのかもしれません。一番の利点は,雪ヶ谷村の北部に中原街道が通っていることです。多摩川で捕れた鮎は,中原街道を利用して江戸まで運んだものと考えれば,雪ヶ谷の氷室説も頷けます。この地がのどかな農村地帯だったころを想像してみましょう。丘の上から見た風景は,どこまでも続く水田と畦道を思い描かくことができます。冬になると眼下に広がる谷は雪で覆われ,その先に池上のお山と五重塔がぼんやりと浮かんできます。あくまでも想像でしかありませんが,きっとその眺めは美しかったことに違いありません。

氷室説への疑問も

では,いつの時代から氷雪を保存していたのでしょうか。永禄2年(1559年),小田原城主であった北条氏康の命により作成された『小田原衆所領役帳』によれば,この地の所領主とされる太田新六郎,新藤下総守(*1)の名とともに「雪ヶ谷」という地名を見ることができます。「氷室説」が地名の由来だとすると,遅くても室町時代の後期にはこの村に雪を保存する技術があったことになります。しかし,今のような製氷技術が無い時代,夏場の氷は非常に貴重なものであったと推測できます。夏場に氷を使用できるのは,一部の高貴な人たちに限られていたことでしょう。室町時代後期の江戸は,関東内陸部から水運で鎌倉・小田原や近畿地方に出るための交通の要衝へと発展していました。しかし,当時の江戸はまだ地方の城下町に過ぎません。当時の都から遠いこの地において,氷の需要があったのかと考え直すといささか疑問が残ります。

  • (*1)新藤下総守 江戸のうち雪ヶ谷の所領主として見えるが不詳。雪ヶ谷は六郷のうちでなく江戸とある。(『大田区史』(上巻)より)

<参考資料>

  • 大田区自治会連合会・ガイドブック作成実行委員会(2012) 『大田区ふるさと発見ブック』 大田区自治会連合会.
  • 大田区史編さん委員会編(1985) 『大田区史』(上巻) 東京都大田区.

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