道々橋八幡神社

道々橋村の鎮守様。雪ヶ谷(雪谷特別出張所)からのアクセスは尾根道である荏原病院バス通りを南下。新幹線のガードを潜り,道々橋交番前交差点の右手の道に進み,呑川に架かる「道々橋」を渡る。左手には樹林寺。橋を渡ってから2本目の路地を右折,樹林寺の墓地を背にして100メート程。丁字路のつきあたりに鎮座されています。

  • 所在地 大田区久が原一丁目7番9号
  • 御祭神 誉田別命(第十五代 応神天皇)
  • 旧社格 村社
  • 別當寺 樹林寺
  • 例祭日 9月第1土・日曜日
  • 御由緒 正保年間(1644~48)に創建

道々橋八幡神社の御由緒

當社は,大字道々橋にあり,境内二百九十坪,社殿九尺四方,拝殿九尺に二間,祭神は誉田別命を祀る。正保の頃勧請鎮座せり。明治九年一月村社に列せられる,末社に稲荷神社を祀る。此の稲荷社は大字池上字下谷にありて八幡社と稱せしが中古此地に遷し末社として倉稲魂命を祀り稲荷社と稱するに至れりと,祭日は九月十五日なり,昔は當地樹林寺別當なりしも神仏分離の発令に依り北川玄蕃社掌とりな現在の北川忠一となる。

田村長・池上町史編纂会 「池上町史」

道々橋村

嘗ての道々橋村(仲池上一丁目,東雪谷五丁目、久が原一丁目,久が原二丁目,南雪谷五丁目,北嶺町の夫々一部)が位置していた地域は,現在の久が原地区に属します。しかし,歴史的には明治11年(1878年)に池上村,雪ヶ谷村,道々橋村,石川村の4ヶ村が合同で池雪小学校を設立,池上村,雪ヶ谷村,道々橋村三村連合で戸長役場をするなど,雪ヶ谷地区と深い関わりがあります。

『池上町史』によれば,道々橋村の設立は,寛政(1789〜1801)以前。もとは,池上村の一部でしたが,伝説によりば,呑川に架かる橋梁の修繕に際し負担の闘係により紛擾をお越し遂に独立して一村となります。とどのつまり,橋の問題より独立したため,ドド橋からか道々橋となったと伝わります。

独立の際,「我らが所有する處は即ち我ら村にて他の差配を受けず」として,各所を飛び地として差配下に置きます。昭和43年(1969年)頃まで存在していた「池上洗足町」(上池台,南千束の一部)も,道々橋千束といい本村に包含していました。なお,當地には醍醐,直井,三部,石川,野口諸家が古くより住居しています。

正保年間

江戸初期,後光明天皇の時の年号。江戸幕府将軍は徳川家光。寛永21年(1644年)12月16日,後光明天皇即位のため改元。正保5年(1648年)2月15日,慶安に改元。當八幡社は,道々橋村が成立する以前より此の地に鎮座されていたことがわかります。

北川家

八王子城主・北条氏輝の末裔。後北條氏の「北」と今川氏の「川」の一文字づつをとって北川家が誕生しました。八王子城が落城した後,北川家は多摩川づたいに下り沼部村に移り住みます。明治政府の神仏判然令(慶応4年・1868)により別當制度が廃止され,寺院に代わって沼部村の名主であった北川家が本務社として雪ヶ谷八幡神社,兼務社として道々橋八幡神社,石川神社,田園調布八幡神社,多摩川浅間神社の神職を勤めることとなりました。また,北川家からは上沼部村,石川村の村長も輩出しています。

『新編武蔵風土記稿』から見る道々橋八幡神社

八幡社 除地三畝二十三歩,村の南の方にあり,本社九尺四方拝殿九尺に二間稲荷七面の二神を相殿とす,村の鎮守なり古は下に載たる八幡を鎮守とせしが,其地の隔たりて便あしければ後年當社を鎮守とすと云,祭禮毎年九月十五日,村内樹林寺の持,○八幡社 除地一段三畝十五歩,池上本門寺の後のなる耕地にあり,九尺に二間の社なり,祭禮は八月十五日,本門寺の持,昌平坂学問所地理局 「新編武蔵風土記稿」

「三畝二十三歩」は113坪(約374平米)。道々橋村は現在の仲池上一丁目,東雪谷五丁目、久が原一丁目,久が原二丁目,南雪谷五丁目、北嶺町の夫々一部となります。現在,地名としては残っていませんが,自治会の名称や橋梁,交差点にその名を残しています。神仏混淆の比は,道々橋八幡神社より東に150メートルほど離れた日蓮宗の樹林寺がの別當として奉仕していました。

「村の鎮守なり古は下に載たる八幡を鎮守とせしが,其地の隔たりて便あしければ後年當社を鎮守とすと云」と記されていることから,もともとは「池上本門寺の後のなる耕地」に鎮座されていた八幡社を鎮守様としてお祀りしていたことがわかります。「池上本門寺の後のなる耕地」とは,都営地下鉄浅草線の車両基地もしくはその周辺,すなわち道々橋村飛地の一つ「道々女木」と推測できます。道々橋と同様に,道々女木という地名も残っていませんが,都営地下鉄浅草線の車両基地に「道々め木橋」という名前の橋が架かっています。

写真で見る道々橋八幡神社

<参考資料>

  • 田村長・池上町史編纂会編(1932) 『池上町史』 大林閣.
  • 幕府昌平黌地誌編纂局編(1817) 『新編武蔵風土記稿(巻之四十五) 荏原群之七 馬込領』 昌平坂学問所地理局.